MY BEST CAMERA アワード

あなたのカメラ人生で、もっとも思い入れの深いカメラとは? 人生史上「最愛カメラ」を決定するため、アンケートを実施した結果を発表します。歴史的カメラから懐かしのベストセラーモデル、最新カメラまで歴代251 種類のカメラを対象に、2,500 票以上の投票をいただきました。最愛カメラへの想い出エピソードを中心にご紹介します。

会員が選んだ最愛カメラ

※ 投票数を多く集めたカメラのなかから、アンケートを元に計測した「熱愛指数」
(そのカメラがどれくらい愛されているか)の高かった機種をランキングしました。

総合部門

技術の総力を結集して誕生!
みんなが欲しかった一眼レフ

F-1

(1971年発売)

  • 熱愛指数

    80.8

  • 得票数

    69

F-1

このカメラに投票した皆さまからのコメント

新潟県
40代 男性

いまでも孤高の存在、カメラといえば「F-1」

小学生、中学生と写真に関わる雑誌を読めば、たいていF-1で撮影したと書いてあるぐらいの、私にとっては孤高の存在でした。
たまたま叔父がカメラを買い替えるにあたり、下取りに出そうとしたF-1でしたが、お店の方から売らない方がよいと諭され、私の所にやってきました。それから、何の知識も

ないのでマニュアルのカメラをどう扱ってよいのか、試行錯誤で何でも撮っているうちに、徐々に撮り方を学び、シャッタースピード、絞り、ASA感度がじゃんけんのように関係しあうものであることを体感し、次第に自分のものになっていきました。
就職して忙しくなり、10年触ることもなくレンズにカビが生えるほど放置してしまいましたが、あるころから仕事で写真を撮ることが増えました、デジカメを購入し、再度撮影意欲が高まり、普段の生活の中で写真を撮ることが多くなりました。
そのときに、当時体感したことがすべて役に立ちました。今ではデジタル一眼レフを使っていますが、いまでも私の中でカメラといえばF-1です。

[...もっと読む]

東京都
50代 男性

まばゆいほどのオーラを感じた「F-1」

今から30年近く前の話ですが、当時中学生の私は、写真に興味を持ち始めていました。さまざまなカメラやレンズの情報に触れるうちに、どうしても欲しくて仕方ないカメラになったのが、キヤノンF-1でした。ブラックに直線を基調とした精悍なボディデザインに、写真好きの中学生の目には眩しいくらいのオーラを感じました。結局、高校受験で

必ず志望校に合格することを条件に親に買ってもらい、宝物のように撮影を楽しんだ思い出が今でも鮮やかに蘇ります。また、レンズやワインダーを買い、自分なりのシステムを充実させていくのもとても楽しいことでした。

[...もっと読む]

他のコメントも読む


写真家の信頼に技術で応えた
EOSシリーズの旗艦モデル

EOS-1D X

(2012年発売)

  • 熱愛指数

    79.7

  • 得票数

    81

EOS-1DX

このカメラに投票した皆さまからのコメント

栃木県
50代 男性

キヤノンのフラッグシップ機にはコダワリあり!

キヤノンのフラッグシップ機はつねに欲しいと思い続け、60歳前にしてこれ以上体力が衰えては写真撮影のための活動に支障がきたすと思い、体力のあるうちと、こづかいに余裕のあるうちにと思い購入を決意。いままでにない写真の表現力に感動しております。

大阪府
50代 男性

体の一部のように動いてくれるカメラ

今まで使っていたカメラも良いものがたくさんありましたがEOS-1Dが統一されて出てきたEOS-1D Xはまったく別物だと感じました。
あらゆる進化の源なんでしょうね。
私が望んでいたカメラは体の一部のように動いてくれます。

他のコメントも読む


5Dの系譜を受け継ぎ
画質を極める新鋭機!

EOS 5D Mark Ⅳ

(2016年発売)

  • 熱愛指数

    77.9

  • 得票数

    77

EOS 5D Mark Ⅳ

このカメラに投票した皆さまからのコメント

三重県
70代 男性

一生使うつもりでIIを購入。でもやっぱりIVですね!

カメラとの出会いは、昭和29年の小学校6年生のときに、日光写真を学校で教えてもらったのが始まりでした。中学になり友人と500円の「スタ-ト35」というカメラを買って映るだけでうれしくて、写真の写しあいをしたことを思い出します。高校になってカメラを買えないので、親戚のおじさんに借りて伊勢神宮へ行きました。その後、キヤノネット

やIXYも使っていましたが、デジタル時代になって欲しくてたまらなかったのは、EOS 5Dでした8年位前にEOS 5D Mark IIが発売されたと同時に、一生持とうと心に決め愛用してきました。それも新製品のEOS 5D Mark IVにとりつかれて、買い替えてしまいました。すべての面で素晴らしいです。
これから樹氷の季節になりますが、新年には樹氷を撮りに行く計画をしており、いまから楽しみにしています。

[...もっと読む]

大阪府
30代 男性

5年間、妻との交渉を経て手に入れた最新機種!

5年間、妻とカメラ購入の交渉を続けて手に入れたEOS 5D Mark Ⅳ。
EOS 5D Mark Ⅳの登場と5年ぶりの家族旅行が奇跡的に重なり、妻から購入許可が降りました。

他のコメントも読む


目覚ましい進化を遂げた
キヤノンF-1の後継機

ニューF-1

(1981年発売)

  • 熱愛指数

    75.4

  • 得票数

    92

ニューF-1

このカメラに投票した皆さまからのコメント

東京都
40代 男性

いまでも惚れ惚れするルックスの「ニューF-1」

中学生のころに、食費を切り詰め、貯金を全額投入し、無理して購入した銀塩MF機。
当時はデジタル写真などなく、写真といえば、銀塩。
永く写真撮影を行える良き相棒として、入手しました。うれしさのあまり、プロでも

ないのに、サービスセンターで名前を彫り込んで頂いたり。
やはり当時のプロ用機。耐久性(とくに液晶表示を一切使っていないので、安心!)や使い勝手は無論、ファインダーの良さやデザインには、いまでもほれぼれします。
デジタル時代となり、あまり使っていませんが、一生モノであることには変わりありません。

[...もっと読む]

東京都
50代 男性

愛用した「ニューF-1」も、いまは「ご隠居様」に

30年間、自動車関連の出版社に勤めていました。80年代にはモータースポーツ担当記者として全国各地および一部海外のサーキットへ取材に行きましたが、そこではつねにニューF-1が「戦友」でした。とにかくタフで確実に仕事をしてくれる心強いやつでした。現場ではキヤノンのプレスサービスの方にはたいへんお世話になりました。いまでは

私もニューF-1も現役を引退して、ニューF-1は防湿庫の中で隠居生活をしております。私はといえば、いまの相棒EOS-1D X+EF600mmで、趣味の野鳥撮影を満喫しているしだいです。これからも生涯キヤノンを愛用していくつもりです。

[...もっと読む]

他のコメントも読む


絶大な支持&人気を集めた
Aシリーズの最高級機種

A-1

(1978年発売)

  • 熱愛指数

    75.0

  • 得票数

    155

A-1

このカメラに投票した皆さまからのコメント

千葉県
50代 男性

中学時代に出会い、写真の魅力を教えてくれた「A-1」

中学のときに、父親が突然、母親に内緒で買ってきた一眼レフ。借りて使って、写真撮影が好きになった機種。自分が38歳になったときに、父親が亡くなり、形見としてもらいました。父親が病気になる前に撮影していたフィルムが、カメラの中に残っていて、譲り受けた後に現像してみたら、そのときには、小学生になっていた孫(自分の甥)の幼稚園時代の、運動会の写真でした。それを見たとき、涙が出てきました。

北海道
40代 男性

愛機A-1といえば思い出すサービス窓口の「対応」

高校進学時、第一志望合格のお祝いで親から購入してもらった。自分専用で初めて手にした一眼レフカメラであり、写真を趣味として取り組むきっかけにもなった。
入学後、写真部員として活動していると、タイミングよく地元で開催される

高校総体に、記録係として参加する機会を得た。プロや報道でもないアマチュアにとって、大きな大会において、選手と同じフィールドに立って撮影することは難しい。このチャンスを逃すまいと、ワクワクしながら大会を迎えた。当時、記録的な速さで注目されていた新星の短距離選手がいた。彼の走りをどう撮影すればいい写真になるのか。他校の写真部員と共に作戦会議を開き、コースに分散してそれぞれのアングルから構え、万全の体制で臨むことになった。
ところが、決勝を翌日に控える中、愛機A-1にシャッターが下りないトラブルが発生してしまった。その場で考えられる対処はしてみたものの、うんともすんとも動いてくれない。幸い、その日の競技はほとんど終わったあとだったが、これでは明日の走りを自分は撮れない。仲間からカメラを借りることも難しく、諦めるしかないのか。またとない機会を逃してしまうことに失望しながら、競技場からの帰り道、修理に出そうとサポート窓口に向かった。
窓口で係の人とどういったやり取りをしたのか、もう随分前のことなので、ほとんど記憶にない。ただ、同じA-1を貸し出してもらえたことは、はっきり覚えている。特別な対応だったのだろうが、明日も撮影に臨めると分かり、予想外の申し出にうれしかったのを覚えている。
翌日、記録班の前を、瞬きする間も許さない速さで駆け抜けたスプリンター。複数のファインダーから捉えた彼の写真は、無事、大会広報誌に掲載され、私たちの役目が終わった。

[...もっと読む]

他のコメントも読む

皆さんにとって「生まれて初めて手にした一台」、「最高に憧れ続けた一台」だったカメラは、その後のカメラライフにもずっと影響を与え続けるものなのですね。イイお話をたくさんお寄せいただき感謝感激です。

この記事は気に入りましたか?

ありがとうございました。